12月8日(水)の晩、神奈川眼鏡協会KGKの忘年会が、中華街であった。京急日の出町駅から、紅葉坂の県立図書館でCDを借り、中華街まで歩くことにした。約40分のウォーキングのBGMに、麗君(テレサテン)の中国語バージョンを聞き、頭を中華モードに切り替え会場に向かう。
中国語の響きは美しい。テレサテンの中国語の音楽を聞くと中国語を学びたくなるかもしれない。そう言えば、返還前の香港で地下鉄に乗っているとき、庶民の会話が恰も音楽でも聴いているような心地がしていた事を今でも覚えている。
大学卒業の春、初めて中国に行った時に西安郊外の碑林を訪れた。そこは、漢字が刻まれた石碑が1000枚ほど立ち並ぶ漢字ワールド。そこの石碑に刻まれた漢字が、絵画のような美しさに大きく心を打たれ、漢字の魅力に惹かれる。日本でも、例えば、伝教大師が書かれた漢字を見ると美しく、その清澄さに、心が洗われ、清々しい気持ちになり、漢字の美しさを認識できると思う。
見て美しく、聞いて美しい。これが、中国語を真剣に身に付けたいと思った動機のひとつにもなっているわけである。
(1984年初めて中国に行った時の写真)
さて、忘年会だが、途中いつもの台湾のお茶屋さんで烏龍茶を買い、会場に向かう。今日は、「暴れるぞ!」ではなく「食べるぞ!」
中華料理は大好きである。美味しい中華料理は、感動する。以前当店が、サニーマートで営業していた時、昼食は、たいていサニー飯店の中華であった。そこの中華は、とっても美味しく、昼食は至福のひと時でもあった。特にそこの餃子は格別で、未だそこより美味しい餃子に出会った事がない。その店もサニーマートの改装時に無くなり、その後ご子息が本郷台で店を出したので、何回か舌鼓を打ちに行ったが、今は、もう無くなってしまい伝説となってしまった。
今回の会場は、マスコミにもよく取り上げられている某有名店。昨年と同じであったが、前回よりは美味しかった気がする。麻婆豆腐は、辛すぎ。全体の量がちょっと少なかったせいか、帰宅してからおなかがすいてしまったのが、残念。取引先のメーカーや卸屋さん、同業の方々と歓談するが、頭が中華モードになっていたので、久々に中国語を話し、盛り上がった。中でもパーリンホウ(1980年代に生まれた世代)の若者たちと中国語での会話を楽しませてもらう。驚いた事に、彼らは南京事件は知っているが、天安門事件は全く知らないとか。彼の国は、相変わらず、恣意的に都合の悪い事は報道しない、教えないようだ。未だに大本営発表である。私が中国にいた時も、毎日のように、日中戦争、朝鮮戦争のことを、テレビで取り上げており、国共内戦、文化大革命の事は全く触れなかった。おそらく、若い世代は、その頃の事をあまり知らないだろう。しっかり、歴史を勉強せいと助言しておいた。
甕(かめ)だし老酒が、効いたせいか、宴の後、天津甘栗の売り子になってしまった。甘栗を買っていただいた皆様方にこの場を借りて再度お礼を申し上げます。
太謝謝了! 毒入り餃子事件、尖閣問題、環境汚染、反日教育等等と彼の国は、難儀である。品質の問題もあり、当店もmade in Chinaは、極力取り扱わないようにしておりますが、基本私は、中国の歴史・哲学、中華料理やお茶などには熱い思いがありますので、頑張っている中国人を見ると応援したくなってしまうのです。甘栗の事は、大目に見てつかーさい。お詫びに格好良い漢詩を紹介します。
江山如此多嬌
引無數英雄競折腰
惜秦皇漢武
略輸文采
唐宗宋祖
稍遜風騒
一代天驕成吉思汗
只識彎弓射大雕
倶往矣
數風流人物
還看今朝
(毛沢東が理想を追っていた頃の詩 中国建国前の1936年)
わが国の風土はこのように大変美しく、
無数の英雄たちがそれを前に膝を折ってきた。
だが惜しいことに、秦の始皇帝と漢の武帝はいささか文才に欠けていたし、
唐の太宗と宋の太祖は風流を解しなかった。
かの、一代の天の驕児と言われたジンギスカンも、
ただ弓を引いて大鳥を射ることしか知らなかった。
こういった人々はみな、歴史の彼方へと消え去っていった。
真の風流人を数えたいなら、今のこの世の我らを見るがいい。
(北京大学にあった毛沢東の像、私がいる間なぜか撤去されてしまいましたが)
この漢詩は、私が留学直後、満州の地平線に沈む夕日が見たく、チチハルに行った時知り合いになった、中国人の姑娘が、後日この詩の前半部分を手紙で送ってくれました。その詩を調べると後半部分に上記の詩があり、ほぉ~男子たるものこんな事を言ってみたいものだと感動したものです。ちなみに、前半は中国の北の風情を美しく描写しています。
歴史を見ますと、言うは易く、行なうは難しのようですが。この詩を、彼の国の政治家に、心して読んでもらいたいものです。
(瀋陽の故宮にて)